BIXXISのドリアーノ・デローザにとって、父の存在の大きさは計り知れない。
彼の父ウーゴ・デローザは1950年代に自転車のメカニックとして立身し、続いて自らフレームを製作するビルダーとなる。 以降のサイクルロードレースの世界での同氏の輝かしい歴史は今日まで賛美的に語られ、この分野では比類のない絶対的存在の “レジェンド”として世界中でリスペクトされている人物であることは、もはや小生が説明するまでもない。
ドリアーノが物心ついたころにはウーゴはフレームビルダーとして既に多数のプロ選手を顧客に抱え、イタリア内外にその名を馳せていた。
60年代後半から70年代にかけて、多くのプロチームにバイクフレームを供給し、彼のオッフィチーナ(工房)は全盛期と言える時代に入る。 エディ・メルクス、フランチェスコ・モゼール、ジャンニ・モッタ、ジョバンニ・バッタリン、ロイ・スクイテンと言った、当時工房に通っていた稀代の選手たち。 学校帰りに父に会うため、いつも工房に遊びに来ていたドリアーノ少年は、雲の上の存在の彼らにフレームを供給し、その活躍を影で支えているのは他でもない、わが父であることを理解するまで、時間を要したという。
そんな環境で育ったドリアーノが、父のように自転車職人を志し、彼の仕事を手伝い始めたことはごく自然な成り行きだったはずだ。