a cura di BIXXIS JAPAN

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Introduzione

Grande ritorno di bici italiane
(イタリアンバイクの復権)

BIXXIS JAPAN代表  静観 篤

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 BIXXISのドリアーノ・デローザにとって、父の存在の大きさは計り知れない。

彼の父ウーゴ・デローザは1950年代に自転車のメカニックとして立身し、続いて自らフレームを製作するビルダーとなる。 以降のサイクルロードレースの世界での同氏の輝かしい歴史は今日まで賛美的に語られ、この分野では比類のない絶対的存在の “レジェンド”として世界中でリスペクトされている人物であることは、もはや小生が説明するまでもない。

ドリアーノが物心ついたころにはウーゴはフレームビルダーとして既に多数のプロ選手を顧客に抱え、イタリア内外にその名を馳せていた。

60年代後半から70年代にかけて、多くのプロチームにバイクフレームを供給し、彼のオッフィチーナ(工房)は全盛期と言える時代に入る。 エディ・メルクス、フランチェスコ・モゼール、ジャンニ・モッタ、ジョバンニ・バッタリン、ロイ・スクイテンと言った、当時工房に通っていた稀代の選手たち。 学校帰りに父に会うため、いつも工房に遊びに来ていたドリアーノ少年は、雲の上の存在の彼らにフレームを供給し、その活躍を影で支えているのは他でもない、わが父であることを理解するまで、時間を要したという。

そんな環境で育ったドリアーノが、父のように自転車職人を志し、彼の仕事を手伝い始めたことはごく自然な成り行きだったはずだ。

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 ドリアーノ・デローザは今年59歳となり、14歳から始めたフレームビルダーとしてのキャリアの45年目を迎える。 
その間、バイクフレームの製作はチューブの溶接がろう付けからTIGに、そしてフレームを形成するチューブ素材はクロモリからチタン、アルミ、ステンレスなどの合金、そして一体成型のカーボンへと変貌を経て今日に至る。
 
これは、技術革新に支えられたバイクの“進化”であると同時に、“合理化”の果ての進歩だったとも言えるかもしれない。

現代において自転車は、もはや、人によって手作りされた“におい”がしない「無機質で味気ない機材」としての価値しか見いだせないと感じるサイクリスト諸氏も多かろう。 昨今主流のモノコックのカーボンフレームを例にすれば “チューブをつなぐ”というフレーム作りの根本たる工程すら存在せず、そこには自転車職人の出番は無いのだから致し方ない。 

ドリアーノ・デローザが得意とするTIG溶接も、合理的なフレーム製造への要求から生まれた賜物だ。TIG溶接(Tungsten Inert Gas welding)は、彼が20代半ばの頃に台頭してきた新技術で、これまでラグ(継ぎ手)で接続していたチューブ同士をTIG(アーク)溶接で直接つなぐことで、ラグに依存しないフレームの自由なジオメトリ設計や軽量化、そして何よりも、効率の良いフレーム製作を可能にした。 

ろう付けによるフレーム製作を前世代のものとすれば、この時代のビルダーは皆TIG溶接のスペシャリスト、すなわち新時代のフレームビルダーだったと言える。 ウーゴのもとでも、ドリアーノと、兄のダニーロ、工房の未来を担う若い二人の息子が、TIG溶接の卓越した技術を身に着けた。

また、ドリアーノにとってキャリア最大のターニングポイントと言える、チタンとの出会いと、後に続くこの素材による彼の成功もまた、TIG溶接の技術無くしては成し得ていなかったものであろう。